あそぶ、はたらく Vol.3

「経営者 まえさと Vol.3 すこし先のために」

シラーズバザールの広場

すこし先に見えるもの

歌を歌う場がない、演じる場がないと嘆かれる方々と同じように誰もが学ぶ、認められる、活躍する場を失っているこの状況が前を向いている人にとってエネルギーを貯めている瞬間でありますように。

事業体という組織が人格を持つと定義され法人と言われるのであれば、この事業体も間違いなく命を灯していて、これまで経験のない未曽有の危機の中、どんなに抗おうとも個の力ではいかんともし難い状況に追いやられ、誰もが政治・行政というものに対する強い期待を抱いている。

いまこの瞬間、国や地方自治体が支援策を講じてくれているおかげで救われる命もあるなかで、もがき喘ぎながら力尽きていく命も数多くあったのだという現実を僕たちはこの騒ぎが収まったすこし先に目にすることになるのではないかと思う。

それはいつもの街の中にあった、何気ない日常に目にしていた命が誰に看取られることもなく姿を消していったという現実。

事業体は強い意志とロマンという核にそれぞれの意思を持つ個人が集まり構成されるのだけれど、なぜ集まってきたかといえば、「偶然×偶然×偶然…」という、結局つきつめていくと運命という必然となるのではないだろうか。

その事業体が命の灯を消すということは、雇用、社会貢献という当たり前のようにおこなわれてきた営みが失われることを意味していて、それは個人の学ぶ、活躍する、認められる、実社会とつながる場を奪うということになり、生活すらも危ういものにしてしまう。

だから事業体を生み出した個人は何があっても必然の集合であるその事業体を守ろうとするのかもしれない、個人の集まりである事業体は意思を持つそれぞれのものであるから輝き尊いのだ。

それぞれのものであるはずの事業体は時にそれを生み出した人若しくは生み出した人の代理の手によって個人を切り離す時がある、それは事業体が存続するための選択であるけれども、どんな理由であれ雇用という責任を放棄したことはその事業体の傷として刻まれる。

今を生き抜くために

今回「雇用調整助成金」により事業体に集まった個人に対する対価が支給されることになった。雇用を継続しなければならない事業体にとって最大90%の支給は朗報以外の何物でもない。

言うまでもなく、一般的な事業体は営業活動により得た利益から、給与、家賃、役員報酬、リース料などの固定経費を撒かなっている。

「雇用調整助成金」はその名のとおり「雇用を助成する」ものであって、「雇用関係」が存在する個人(被雇用者)の給与を助成するものであるから「委任関係」である役員報酬は対象外となる。
つまり、給与以外の固定経費はなんらかの手段を講じて捻出しなさいということだが、その固定経費を捻出できなければ雇用助成金を支給されたとしても事業体が存在することは出来ず、結果として雇用を継続することはできない。

事業体がそれ以外の固定経費を捻出するために設けられたのが、「持続化給付金」で最大200万円が支給される。「持続化給付金」は売上の減少割合に応じて支給されるのだが、上限の200万円を獲得するのは容易というほかない。任意の1か月の売上と前年同月の売上を比較するだけなのでいくらでも調整ができてしまう。

ただ、仮に200万円を獲得したとしてもその中から役員の生活費と家賃その他経費を捻出しろというのはあまりにも難しい注文で、突き放されたと感じる事業体を生み出した個人(経営者)も数多くいるはずだ。

200万円という金額は大きいようで、都内一等地に構える店舗を持つ事業体にはスズメの涙なのだから。

助成金ビジネス

「助成金、補助金、給付金」の申請には多くの書類が必要だ。

ただ、申請以前にその助成金などに関する説明書「○○助成金支給要項」というものの文章が長く、恐ろしく難解なつくりになっている。

これは「仕組みをよく理解している人間」が作っていて、彼らの当たり前の「基礎知識」と申請をする人間の「基礎知識」の乖離が大きいからで、役所というところの人間はどうも難しい言葉を使うことに意味があると信じて疑わないのだと思う。

その多くの手間を要する申請にビジネスチャンスを見出し活躍するのは「助成金ビジネス」。
複雑怪奇な資料作成や補助金申請を請け負う業者がある。
業者によって違いがあるが成功報酬制で契約し、取得した補助金等の20%をお支払いするシステムが一般的だ。
業者からすると、同じ補助金であればノウハウを蓄積できるのでフォーマット化することができ、「20%はけっこうおいしい商売」ということになる。

瞬間的な報酬は割高に感じるが、相談にも乗ってくれるので専従の事務職がいない事業体ではメリットを感じることが出来るのではないかと思う。

自粛は正義なのか

今メディアで「営業自粛!」と叫んでいる芸能人、著名人はどれだけのスタッフを雇っているのだろうか?100人、1000人と雇用していたら「自粛、自粛」と心から言えるのだろうか?
芸能人のほとんどがスタッフを抱えない個人事業者で、収入がなくなっても自分の生活費だけを考えればよい人であれば、その言葉に説得力はあるのだろうか?

街頭のインタビューを受けている人のうちの何人が大きな固定費を毎月支払っている経営者なのだろうか?

「事実」は、見る者の角度によって生み出される「現実」とは違うことを理解せず、メディアの発信することだけを鵜呑みにすることは本来起こった「事実」を見誤るから気を付けなければいけない。

現在のメディアに本当の意味での正義はないのだから。